ごあいさつ

 守口市役所の国道1号線を隔てた向かい側。守口市中央公民館隣にある鉄筋2階建の建物が「守口文庫」。この守口文庫は、大阪経済大学教授で郷土史家でもあった故菊田太郎氏(昭和55年3月歿)が昭和53年4月に建設し、その後平成2年4月に同敷地内に書庫及び研修室(会議室)を備えた鉄筋コンクリート3階建の別館を増設。
 守口市は徳川時代、日本橋に始まり京橋に至る東海道最終の宿駅のあった町で、その守口宿にあって代々町役人、宿役人を勤めたのが菊田家。殊に幕末、明治維新の頃に庄屋、宿取締役を勤めた菊田太瓶義方が史料保存に尽力しました。これらの資料類は、江戸中期から明治初年に至る旧守口町(江戸時代北河内唯一町制が敷かれていた)や守口宿を知る唯一の纏まった資料となっています。
 ところが、国道1号線八島交差点付近にあった旧菊田邸が新国道の拡幅工事に伴い家屋の移転を余儀なくされ、現在の松町に昭和30年1月鉄筋コンクリート3階建の住宅兼書庫を新築し、これを「守口文庫」と命名しました。その後、住宅と文庫を分離して隣地に現在の施設を建設しました。収蔵されているのは郷土史関係の古文書・書籍・史料で、史料の中には江戸時代の河内の名勝、社寺、風俗を描いた「河内名所図会(1796年)」、江戸末期の淀川流域の様子を伝える「淀川両岸一覧(1861年)」、「澱川両岸名勝図会(1824年)」や明治初期の石高を伝える「河内国茨田郡守口町明細帳」、幕末の宿泊予約台帳とも云える「御先触」、現在の戸籍に当たる「宗旨人別帳」、関札、高札や村方文書・庄屋文書など学術的にも貴重なものが多い。
 故菊田太郎氏は、昭和33年3月にこの守口文庫所蔵の史料を広く一般に公開し、また資料の散逸を防ぎ永久保存を図るため財団法人の設立を計画したが、志半ばで逝去したので遺族がその遺志を継ぎ昭和55年9月大阪府の許可を得、財団法人を設立し現在も史料の整理作業が進められています。